大量の蔵書を抱える本好きならば一度は気にしたことのある疑問に対し、古今東西の蔵書家を巡り書籍電子化の現実を経て、やがて予想もしなかった結末を迎えた著者による本にまつわる奮闘記 西牟田靖『本で床は抜けるのか』
はたして本の重みで家の床が抜けることはあるのか。大量の蔵書を抱える本好きならば一度は気にしたことのあるであろう疑問に、実際の危機に直面した著者が縦横無尽に切り込む。『本で床は抜けるのか』は本の床抜け問題を端緒に、古今東西の蔵書家を巡り書籍電子化の現実を経て、やがて予想もしなかった結末を迎えた著者の本にまつわる奮闘記である。
両親は特に本好きというわけではなかったが、なぜか本好き、こと物語好きに育った自分は小説やマンガを買ってきては本棚に溜め込んでいる。「本棚に」というのは以前実家住まいだったとき、置き場に困って床に積むようにしたところ足の踏み場がなく掃除するのも面倒なありさまになったからだ。そのため実家を出てからは極力床に積まないような運用にしている。ただそれも未読の本は近いうちに読むから床に積むのもやむなし、雑誌はバックナンバー2冊を基準に処分を検討するので床に積んでもよい、といった具合に緩和されていった結果、現在はうやむやになってしまっている。
学生時代に「文藝部」というもの書き系のサークルに所属していたこともあって周りには本好きが多かった。代々の部員が本やマンガを持ち込んだ部室はまさにマンガ『げんしけん』(木尾士目/講談社)で描かれるげんしけんの部室そのままであり、(元)部員の家を訪ねると部屋中が本で埋め尽くされていたり某ネット書店の箱が積み上げられたりしていることはざらだった。また、まるまる一部屋を書庫にしている猛者もいた。文藝部を離れてからかなりの時間が経ち、数年来交流のない者もいる。それゆえ元部員たちが今でも大量の蔵書を所持したままなのかどうかはわからない。だが、幾ばくかの時間をものを書くことに費やし本やマンガを読むことに注いだ元部員のすべてが、今はもう本に埋もれた生活をしていないとは到底思えない。
twitterのタイムラインを眺めていると自分よりもはるかに多くの本を読んでいる人が少なくないことに気づく。彼ら/彼女らはたびたび「本を買ってくる」宣言や「本を買ってきた」報告をしては買った本を楽しげに読み、感想や書評をつぶやいたりブログに書き込んだりしている。そんな彼ら/彼女らはおそらく自他ともに認める本好きマンガ好きであるだろう。そして、「買ってくる」「買ってきた」というぐらいだから電子書籍ではなく紙の本を買う人たちであり、本が紙であることにこだわりと愛着を持つ人たちなのだろう。
自分の身近を見ただけでも大量の蔵書を抱えている人がいる(もしくは、いた)。具体的に何冊からを「大量」と見なすかという点については種々の意見があり、その量も上を見ればキリはないが、ここでは「とにかく本をたくさん持っていて生活空間の一部を占めていそう」という印象を抱いたことをもって「大量の蔵書を抱えている」と言ってしまう。はたして彼ら/彼女らは本の重みで家の床が抜けたことがあるのか。本の重みで家の床が抜ける危機感に苛まれているのか。何の懸念もなく暮らしているのか。そんな疑問に対するひとつの答えが『本で床は抜けるのか』には書かれている。
木造アパートの2階にあった仕事場が本で埋まったことで著者が床抜けの危機を抱いたところから本書は始まる。著者はまず建築の専門家に意見を求めたり、実際に床をぶち抜いた経験のある人を探したり、床を抜かないまでも地震で本の雪崩や本棚の崩壊に見舞われた人の話を聞いたりして、床抜けが対岸の火事ではないことを確認する。そこで記された事案を見るにつけ、我が身に降りかかる可能性のある危機を改めて認識する読者も多いのではないだろうか。それは知らなければ知らないままでいられたことかもしれないが、実際にことが起こったら知らなかったでは済まされないようなことでもある。うちは大丈夫かな、ちょっと蔵書の整理を検討してみようかな、と思わせるには十分な根拠がそこにはある。
次に著者は大量の蔵書を抱える文筆家や好事家を当たり、彼ら/彼女らがどのようにして蔵書を保管している(いた)か、どのようにして床抜けの心配がない本棚や書庫を作っているか(いたか)を徹底的に調査する。それは床抜けの危機を乗り越えて安住の地を手に入れた人たちの戦記であり、また既にこの世にはいない人たちの蔵書の足跡を辿る旅路でもあり、全国各地から寄せられるマンガを蒐集し管理する人たちへの応援歌でもある。ビル一棟を建てて書庫にするなど誰もが今すぐに実践できるようなことではないが、そこに綴られた記録や想いに共感することは多々あるだろう。
そうした経緯を踏まえた上で著者が提示した解決策のひとつが本の電子化だ。著者は木造アパート2階の四畳半が本の重みで抜け落ちるかもしれないという問題と、もうひとつ家庭の危機というまったく別方面から勃発した問題に対処するため、蔵書の大半を電子化するという決断を下す。その過程が本書には生々しく記されていて、読むと著者が味わった喪失感を追体験しているような気になる。本そのものは電子データとして残るとはいえ物理的な存在感が失われることは確かだ。大事大事に紙で所有してきた本を手放すということがかくも心苦しいことなのかと、他人ごとながら一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
ところで、本書を読んで床抜けを回避するには、あるいはもっとたくさんの本を所有するには結局電子化しかするしかないのかと、紙の本至上主義の自分は残念に思わなくもない。確かに電子書籍ならば端末さえあれば程度の差はあれいつでもどこでも本を読むことができし、思い立ったら即購入できて売り切れの心配もない。床抜けの危機に苛まれることも置き場に頭を悩ませることもなくなるし、本が日焼けして劣化することも湿気で読めなくなることもなくなる。部屋掃除やテスト勉強の最中にうっかり目についた本に手を伸ばして読みふけり、時間を浪費したことを後悔することもなくなる。理屈で考えれば今持っている本を電子化すること、今後は電子書籍で買うようにすることが本を大量に所有する上では最適な選択だろう。
だがしかし。理屈だけでは割り切れないのが人間だ。
いつどこでどの本を読んでどういう印象を受けたか。本の質量とページをめくった感覚とともにそれは今でもうっすらと手に残っている。旅先で読んだ本が何だったか。その土地の空気と本の匂いが紐づいてあれから何年か過ぎた今でもそれを思い出すことができる。そういうことを知っているから未だに紙の本を手放すことができない。そんな人が自分以外にもいるのではないだろうか。
書籍の電子化は世の趨勢。本からマンガまで、教科書からノートまで、役所の書類からスーパーのチラシまで、あらゆる紙媒体が電子化される未来はそう遠くないに違いない。また、先に示した文藝部員の中でも、無類の読書家である先輩が蔵書を次々と「自炊」して電子化しているという話を聞き、本好きであることと電子化された本を許容するかどうかは関係がないことも知っている。紙の本にこだわる自分は流れに棹を差すことのできない時代遅れの人間なのか。未だに本は本屋で買う主義の人々はただの物好きなのか。自分は、彼ら/彼女らは、10年後20年後も今の姿勢を保っていられるのか。読者が自身と本の関係を見つめ直すきっかけにするという意味でも本書はうってつけの1冊である。
【出典】
・西牟田靖 『本で床は抜けるのか』 本の雑誌社、2015/3/10発行
・連載「本で床は抜けるのか」 - マガジン航[kɔː]→本書の基となった連載
・表も裏も見渡したい→作者のブログ
←本はやっぱり紙がいい! ←本の置き場がない!
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