あの世とこの世のあわいにある温泉宿は今日も賑やかです。仮の宿りにひととき身を委ねる訪問客の人生譚と狐っ子な仲居たちの百合百合しいじゃれ合いが素敵な、心温まる物語。 天乃咲哉『このはな綺譚』第1巻
あの世とこの世のあわいにある温泉宿には年配者や赤ん坊から亀や卵などの人ならざる者まで、様々な出自と姿を持つ客が訪れる。そんな彼らをもてなすのはふさふさの耳としっぽを持つ狐っ子の仲居たち。『このはな綺譚』は宿にひととき身を置いた訪問客の人生を垣間見て、狐っ子の仲居たちが百合百合しくじゃれ合う様子を愛でるという、素敵なハートフルストーリーだ。
起きる直前に見ていた夢は目覚めとともに急速にその記憶を失ってしまうものらしい。死に直面すると過去の記憶を走馬燈のように思い出すと言うけれど、もし本当にそのまま逝ってしまったら思い出した記憶は誰に語られることなく消えてゆくことだろう。
『このはな綺譚』に登場する「此花亭」は和風の静かな佇まいが魅力の温泉宿である。その宿を訪れた、あるいは迷い込んだ人々、もしくは人ならざる者たちは狐耳としっぽを生やした仲居にもてなしを受け、つかの間の宿に身を委ねる。彼らはそこで来し方に親しみ、行く末に想いを馳せる。あの世でもこの世でもない此花亭での彼らの経験は、起き抜けに見る夢や死の間際に見る走馬燈のように儚く、頼りないものなのかもしれない。
しかし、彼らが此花亭を訪れたことは彼らにとっては事実である。彼らが此花亭で狐っ子に歓待されたことも彼らにとっては事実である。
そして、そんな彼らの物語を読むことで、我々が彼らの人生に触れ、彼らの生き様を見届けたこともまた事実となる。ときにかわいく、ときには不気味に。ときに微笑ましく、ときにはしてやられた感じに。ときにユーモアたっぷりに、ときにはしみじみしんみりと。まさに冒頭で新人仲居の柚に出迎えられたとおり、読者は此花亭に泊まる湯治客の1人として『このはな綺譚』の物語を経験する。そこではもはやその出来事が現実として起きたかどうかなんて本当に些細なことだろう。
また『このはな綺譚』はもちろん仲居たちの物語でもある。彼岸と此岸の間に住む彼女たちは頭にふわふわの耳を出し、後ろにふさふさのしっぽを生やした狐っ子であり、目の前にいたら心ゆくまでもふもふしたいと思わせる愛らしさを持っている。
そんな彼女たちはことあるごとにじゃれ合っている。じゃれ合うだけでなく、むしろイチャイチャしている。これはもしかして百合と言われる類いのものでは……!
それもそのはず。寡聞にして知らなかったが、『このはな綺譚』にはその前作として『此花亭奇譚』という作品があり、そちらは元々「百合姫エス」に掲載されていたれっきとした百合マンガなのだ。どうりで。どうりで! 百合百合しいと思った! まったく素晴らしいことですね!
例を挙げると。
いつも明るく元気な新人の柚はちょっと愛想がないけれど頼れる先輩の皐が大好き。口には出さなくてもハートを描くアホ毛は正直だ。
なお、ここでさりげなく皐の乳首券が発行されているが、作者が乳首券にかける並々ならぬ情熱はカバー下に描かれたあとがき「文豪さんの日々②」に詳しい。
この2人、昼間は皐が先輩として柚をリードするけれど、夜は柚の方が積極的に皐をリードしそうな気がする。何のことだかよくわかりませんが(すっとぼけ)。
あと顕著だったのは、おでことぽっちゃりがチャームポイントの蓮と男装の麗人で天然のタラシでもある棗の2人。柚と皐が先輩後輩以上恋人未満なら、蓮と棗はもう結婚していると言われたら信じるレベルである。
第3話冒頭より、蓮と棗のある朝の風景。どう見ても朝チュンです。本当にありがとうございました。
第3話は連と棗の朝チュンから始まる騒動を描いた話となっているが、百合ップルに子供ができる(?)など第1巻に収録された話の中では屈指の百合百合しさを誇っている。何と言っても棗の言葉に赤面する蓮がチョロかわいい。もう本当に結婚しちゃえよ!
このように『このはな綺譚』は温泉客の人生譚と狐っ子の百合物語という1冊で二度おいしいマンガとなっている。2巻以降も楽しみにしていきたい。
また、このはな綺譚公式サイトの仲居名簿によると、仲居頭の桐と無口で無表情なちびっ子の櫻にもなにやら素敵な関係があるらしい。来月5月と再来月6月に『此花亭奇譚』が新装版として登場するそうなので、是非そちらで確認してみたい。
ところで、亀の亀甲縛りというしょうもない小ネタが私は大好きです。
【出典】
・天乃咲哉 『このはな綺譚』第1巻、幻冬舎<バーズコミックス>、2015/4/24発行
・このはな綺譚:作品・シリーズ | 幻冬舎コミックス GENTOSHA COMICS→試し読みあり
・このはな綺譚公式サイト→作品の公式サイト
・此花工房→作者のサイト
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