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2014/11/04

円環の理に導かれた物語――ストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多いという説を唱えたい!

円環の理に導かれた物語

 話の始まりと終わりで同じ場所へ戻ってきたり、その形は多少変わることもあるけれど元の関係に戻ったりなど、円環の理に導かれたようにストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多いように思う。調べたわけではないので既に定説なのかもしれないが、ここではいくつかのマンガ作品を例として挙げつつ、どうしてそのように思ったかを書いていきたい。
 以降の文章では趣旨の関係上、取り上げたマンガ作品のネタバレを多分に含む。また、円環と螺旋は明らかに異なる形をしているが、以降では「ぐるっと回っているっぽい感じ」を表現するために特に区別することなく「円環構造」を用いるものとし、明確に区別したいときのみ「螺旋構造」と表現するものとする。また、某魔法少女アニメの円環様とは特に関係はない。

 ストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多いと常々思っていた。それが確信に変わったのは『少女少年II―KAZUKI―』(やぶうち優、小学館)のあとがきに「こう、もとの生活に戻っていく話は好きですね。(考えたらIもそうだ。)」(p.208)と書かれているのを見つけたときだった。

『少女少年II―KAZUKI―』p.208

 『少女少年』シリーズは無印からVIIまでの7作があり、小学館の学習誌「小学5年生」や「小学6年生」で7年間に渡って連載されていた。読者が1年後には進級または進学する都合上、各連載は12話前後で完結するようになっていたため、そのような形となっている。主人公はいずれも読者と同じ年齢層の少年で、女装をすると女の子に見える、素のままでも女の子に間違われるなど今で言う「男の娘」である。
 どの作品も少年がその外見を活かして少女アイドルや女優、女性声優として芸能界で活躍するという筋書きになっていることが共通した特徴である。そして作者があとがきで言及したように、無印では少年の女装がバレて芸能界から身を引き普通の男の子に戻り、IIでは生みの親と生き別れになっていた少年が生みの親と和解した後も育ての親の下へ戻るなど、元の生活に戻るという結末になっていることが多い。
 『少女少年』シリーズは最後のVIIでも2003年と10年以上前に描かれた作品であるが、今読んでもその面白さは全然色褪せることがない。特にシリーズ2作目の『少女少年II―KAZUKI―』は「家族とは何か?」という小学生向けとは思えないようなテーマをコメディ交じりに描くという難題に挑戦しており、折に触れては読み返し感銘を新たにしている。これを名作と言わずに何と言おう。
 それ以来、物語が持つ構造とおもしろさの関係にも注目してマンガを読むようになり、名作だと感じたマンガの中に円環構造を見出しては「ストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多い」説に対する確信を深めていった。

 一口に円環構造と言ってもそれこそ物語の数だけバリエーションは存在する。ただ、いくつかのパターンにわけることはできるので、以下では手持ちのマンガを例としてぱっと思いついたパターンを挙げてみたい。

1.非日常から日常へ戻る場合
 登場人物がそれまでの日常から立場や役割の違う非日常の世界へ足を踏み入れ、最終的に元の日常へ戻ってくるという構造を持つ物語である。非日常の世界は『少女少年』や『O/A』で描かれた芸能界のような日常の延長線上にある場合と、SFやファンタジーのような並行世界や空想世界の場合とに大別できるが、ここでは前者を指すものとする。

例1)『少女少年』シリーズ

『少女少年』シリーズ

 前述の『少女少年II―KAZUKI―』のように個別の円環構造を持つ場合もあるが、シリーズを通じて共通しているのは主人公である少年の女装が必ずバレて元の少年の姿に戻ることである。また、作品によっては芸能界から完全に足を洗う場合と芸能界に留まる場合とがある。

『少女少年II―KAZUKI―』p.204

 IIでは主人公のかずきは女優である生みの親と生き別れになっていたが、生みの親と和解した後も育ての親との6畳一間のアパート暮らしへ戻ることを選んだ。「家族とは形ではない」というメッセージ性を持ったその物語は描かれてから15年以上が経つ今でも読むたびに深い感動を与えてくれる。

   【出典】
   ・やぶうち優 『少女少年』シリーズ全7巻、小学館<てんとう虫コミックススペシャル>、1999~2004年
   

例2)『O/A』

『O/A』

 人気アイドルの堀内ゆたかと駆け出し芸人の田中はるみ。ゆたかはラジオの生放送でパーソナリティを務めていたが、ゆたかの窮地を声がそっくりなはるみを替え玉にしてしのいだことと、ゆたかが事務所のスキャンダルに巻き込まれた挙げ句にはるみのアパートへ転がり込んだことから、ゆたかとはるみの公私に渡る二人三脚の生活が始まる。

『O/A』7巻pp.138-139

 この物語はゆたかの転落人生と再起、はるみのラジオ番組での影武者からピン芸人への回帰という二重の輪を描いている。物語の最後で2人は袂を分かち、元のアイドルと芸人に戻ることになるが、7巻138~139ページの見開きで描かれたゆたかの「帰るわ」という言葉は、替え玉がバレて逃げ出したゆたかがはるみの下へ帰るという意味と、ゆたかとはるみがそれぞれ最も輝ける舞台へ帰るという意味のダブルミーニングだろう。だが、2人が築いてきた信頼と友情の関係はより強固な結びつきとなって続いてゆく。つまり、2人が描いた軌跡は円ではなく螺旋である。ゆたかとはるみが描いた二重螺旋は文字どおり2人のDNAとなって2人の未来を形作ってゆくことだろう。

   【出典】
   ・渡会けいじ 『O/A』全7巻、角川書店<角川コミックス・エース>、2010~2012年
   

2.並行世界や空想世界などの異世界から元の世界へ戻る場合
 主人公が日常と並行に存在する別の宇宙や鏡面世界、過去未来や剣と魔法の空想世界に旅立ち、大冒険の末に戻ってくるという構造を持つ物語である。その特徴からジャンル的にはSFやファンタジーに分類されることが多い。

例1)『大長編ドラえもん2 のび太の宇宙開拓史』

『大長編ドラえもん2 のび太の宇宙開拓史』

 映画の原作という位置づけの大長編ドラえもんは本編に影響を与えないようにするためか、のび太の部屋から始まってのび太の部屋へ戻ることとゲストキャラとの出会いと別れがあることが話の基本になっている。大長編ドラえもんは今でも非常に好きなマンガの1つであり、その中でもこの『宇宙開拓史』が行って帰る物語の最高傑作だと思っている。

『大長編ドラえもん2 のび太の宇宙開拓史』p.188

 のび太の部屋にある畳の下が別の宇宙を旅する宇宙船の倉庫と偶然繋がったことからその物語は始まる。時間の流れと重力が異なるもう1つの宇宙で、のび太とドラえもんは宇宙船の持ち主である少年ロップルを始めとした住民たちと仲良くなり、彼らが敵対する勢力との抗争で八面六臂の大活躍を見せる。だが、畳の下と宇宙船の倉庫がいつまでも繋がっていることはなかった。のび太たちはロップルたちの生活に平穏が戻ったことを見届けて、並行宇宙との接続が絶たれた元ののび太の部屋へ戻ってくるのだ。
 大長編ドラえもんには地球や同じ宇宙を舞台にする作品があり、そのような場合はゲストキャラとの別れがあったとしても再度巡り会う可能性は全くのゼロではない。実際、(出会いは大長編ではないが)『のび太と雲の王国』ではゲストキャラであるキー坊と再会した例がある。その点、ロップルの宇宙はのび太の宇宙とは時間軸の全く異なる並行世界だ。どこでもドアを使ってもタイムマシンを使ってものび太はロップルの宇宙へは二度と行くことはできない。のび太とロップルの出会いはまさに一期一会であり、それが行って帰る物語の最高傑作だと考える由縁である。

   【出典】
   ・藤子・F・不二雄 『大長編ドラえもん2 のび太の宇宙開拓史』 小学館<てんとう虫コミックス>、1984/3/25発行
   

例2)『ぼくらのよあけ』

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 近未来を舞台に小学生のゆうまとお手伝いロボットのナナコ、ゆうまの友人たち、そして意思を持つ宇宙船「二月の黎明号」との交流を描いたジュブナイルの傑作である『ぼくらのよあけ』。本作で行って帰る役目を負っているのは主人公のゆうまではなく、ゆうまとはいろいろな意味で異質な存在である「二月の黎明号」だ。
 「二月の黎明号」は物語の冒頭で2010年に地球へ来たことが描かれている。人には想像も及ばないような長い時間を宇宙で過ごしてきた「二月の黎明号」にとって地球はそれまでとは全く違う世界だ。その地球で「二月の黎明号」は最初にまだ中学生だった頃のゆうまの両親たちと出会い、28年の時を経た2038年に次世代となるゆうまたちに出会う。
 「二月の黎明号」から見るとこの物語は行って帰るという構造を持っている。だが、それと同時にゆうまの側から見ると親世代が果たせなかった「二月の黎明号」を宇宙に帰すという夢を子が果たすという螺旋構造を持っている。行って帰る物語であり、親が迎えた存在を子が帰す物語。『ぼくらのよあけ』はそんな二重の円環構造を持つ物語である。
 ただし、この物語には1人だけ行ったままで帰らないという例外がいる。お手伝いロボットとしてゆうま一家の生活を支援し、ゆうまとは兄妹のようにつまらない喧嘩をする者。作中で唯一ナナコだけは宇宙へ帰る「二月の黎明号」に着いていくという形で「行って帰る」という構造から外れている。このことは何を意味するのか。

『ぼくらのよあけ』2巻p.226

 マンガで描かれる物語は必ずしも全てマンガで描かれる必要はない。「余韻を引く」という感覚はマンガを読み終えたときに物語のその後を想像することで得られるものだと思う。
 本作では最後の数ページで大人になったゆうまと思われる宇宙飛行士が宇宙へと旅立ったナナコに会いに行こうとする場面が描かれている。物語はそこで終わっているため、ゆうまが再びナナコと再会できるのか、ナナコがゆうまと共に地球へ戻ってくるのかは定かではない。ただそういう可能性を示唆しているだけだ。それでもいつかゆうまはナナコと一緒に帰ってくる。ナナコはゆうまの下へ帰ってくる。そういう想像の余地を残すことで、二重の円環が閉じた後も『ぼくらのよあけ』の物語は円を描き続ける。『ぼくらのよあけ』は文字どおりゆうまの夜明け、人類の黎明を描いた物語である。

   【出典】
   ・今井哲也 『ぼくらのよあけ』全2巻、講談社<アフタヌーンコミックス>、2011~2012年
   

3.元の場所に戻ってきたとき、2人の関係は出会ったときとは違う形になっている
 物語の冒頭で描かれた場所に戻ってきたとき、主人公2人の関係が出会ったときとは異なる、新たな形になる物語がある。そこで描かれる関係性の変化はラブコメであれば他人だった2人が恋人同士になることが典型例であり、『G戦場ヘヴンズドア』のようにマンガの共著者という関係からマンガ家と編集者という役割の異なる関係へと変わるものもある。共通的な特徴としては序盤で描かれた象徴的な場面が終盤で再度描かれていることが挙げられる。

例1)『恋染紅葉』

『恋染紅葉』

 『恋染紅葉』は鎌倉を舞台に描かれた高校生の恋愛物語である。主人公は赤面しがちな普通の男子高校生である葛城翔太、対するヒロインはテレビでも活躍する人気女優の紫之宮紗奈。何の接点もない2人だったが、撮影現場の下見のために鎌倉を訪れた紗奈が翔太に記念撮影を頼んだことから物語は始まる。

『恋染紅葉』1巻pp.6-7 『恋染紅葉』4巻pp.182-183

 本作は言ってしまえば典型的なボーイ・ミーツ・ガールであり、翔太がその後登場する翔太の幼なじみや紗奈のライバルにも好かれるというハーレムチックなラブコメである。ただ、タイトルと同じ劇中作の『恋染紅葉』を引き合いに出しながら翔太と紗奈の恋が進展すること、鎌倉や江ノ島の海を情景たっぷりに描いていること、そして冒頭で描かれた紗奈1人のスナップ写真が結末では翔太と紗奈2人の記念写真になるという円環構造を持っていることで、この物語を単なるラブコメの領域を逸脱した記憶に残るマンガへと昇華している。

   【出典】
   ・原作・坂本次郎、作画・ミウラタダヒロ 『恋染紅葉』全4巻、集英社<ジャンプ・コミックス>、2012~2013年
   

例2)『星川銀座四丁目』

『星川銀座四丁目』

 小学校の教師をしている「先生」こと那珂川湊が両親からネグレクトに合っていた金髪碧眼の小学生・松田乙女を引き取ったことから始まり、同性、年の差、生い立ちといった壁を越えて生涯のパートナーになるまでを描いた『星川銀座四丁目』。そんな本作では最初と最後に示された那珂川家のネームプレートで円環構造を持つことが示唆されている。

『星川銀座四丁目』1巻p.8 『星川銀座四丁目』3巻p.158

 同じ星川四丁目の町内ではあっても引っ越ししているため元と同じ家ではなく、時間も15年ほどが流れている。それでも乙女が帰るところは先生の待つ家であり、先生は何年が経とうとも帰ってきた乙女を迎え入れる。「○○は文学、△△は芸術、□□は人生」を百合マンガに引用するなら本作は間違いなく「星川銀座四丁目は人生」だと思う。

   【出典】
   ・玄鉄絢 『星川銀座四丁目』全3巻、芳文社<まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ>、2010~2013年
   

例3)『G戦場ヘヴンズドア』

『G戦場ヘヴンズドア』

 『G戦場ヘヴンズドア』はマンガ家を父に持つ堺田町蔵とマンガ編集者を父に持つ長谷川鉄男という2人の高校生がマンガ家を目指して成長する姿を描いている。ただ、それは切磋琢磨などというきれいな一言で片付けられるようなものではない。それぞれが抱える夢や憧れ、葛藤、家庭事情、トラウマ、プライドを武器に、ときに高校生らしくキラキラと、ときに目を覆いたくなるような生々しさで活写する。それはまさに戦場。このマンガは商業誌という生き馬の目を抜くような競争が繰り広げられる戦場を舞台に若さと情熱を燃やした2人の男の物語である。

『G戦場ヘヴンズドア』1巻p.32 『G戦場ヘヴンズドア』3巻p.193-194

 本作では当初は合作という形でマンガを作っていた2人が紆余曲折を経てマンガ家とマンガ編集者という役割の異なる関係でマンガを作っていくことになるまでを描いている。その、ここには書き尽くせない紆余曲折は、人の死ではなく人が生に立ち向かう姿でここまで泣かせるマンガを描けるものなのか、と驚愕させるものがあった。筆舌に尽くしがたい感動表現を筆舌に尽くしてしまったマンガ。『G戦場ヘヴンズドア』は希有なマンガである。

   【出典】
   ・日本橋ヨヲコ 『G戦場ヘヴンズドア』全3巻、小学館<IKKI COMICS>、2003年
   

4.次世代に受け継がれる精神
 ある役割や意思が主人公から、または主人公へ引き継がれてゆくことで円環構造を成している物語がある。これらの物語は精神や魂が別の人物に受け継がれるという意味で円環構造ではなくて明確な螺旋構造を持っている。なお、この場合も3と同様に序盤で描かれた象徴的な場面が終盤で再度描かれていることにその特徴がある。

例1)『だかあぽ』

『だかあぽ』

 D.C.、ダ・カーポとは楽譜の始めに戻るという意味の音楽記号である。短編集『だかあぽ』所収の表題作である『だかあぽ』は、まだ義務教育が始まる前の時代、授業料が払えず学校に行けなかった波多野万次が、学校で教師をしていた「牧村先生」に青空の下で薫陶を受けたことをきっかけに教師を目指す姿を描いた物語だ。

『だかあぽ』p.3 『だかあぽ』p.49

 牧村先生が万次にとって道標であったこと、その道標に導かれた万次がまた誰かの道標となること。作者あとがきでも意識的にそのような構成にした旨が書かれているが、道に迷ったとき、あるいはふとした瞬間に、この物語に道を示された記憶のある読者は少なくないだろう。牧村先生が示した道標は万次と読者の前に今も燦然とあり続けている。

   【出典】
   ・鷹城冴貴 『だかあぽ』 集英社<ジャンプスーパーコミックス>、1994/7/9発行
   

例2)『AQUA』『ARIA』

『AQUA』『ARIA』

 24世紀の未来、テラフォーミングされ水の惑星となったかつての火星「アクア」。水先案内人(ウンディーネ)と呼ばれる観光ゴンドラの漕ぎ手になるべく、地球からアクアへ渡った少女・水無灯里の成長を描いた物語が『AQUA』とその続編の『ARIA』である。

『AQUA』1巻pp.51-52 『ARIA』12巻pp.170-174

 灯里はアリシアという名の先輩ウンディーネ1名にアリア社長という名の猫1匹という小所帯のARIAカンパニーに入社し、藍華とアリスという想いを同じくする2人の友人とともに一人前のウンディーネを目指すことになる。灯里の成長は日常のあれこれや季節のイベント、ときどき不思議なできごとを交えながらとてもゆったりとしたテンポで描かれる。個人的にはこのマンガは終わらない物語なのではないかと思っていたが、通算14冊目の『ARIA』12巻にて灯里は一人前のウンディーネとなり、アリシアから受け継いだARIAカンパニーに新たなウンディーネの卵を迎え入れる形で物語は幕を下ろした。

   【出典】
   ・天野こずえ 『AQUA』全2巻、スクウェア・エニックス<ステンシルコミックス>、2001~2002年
   ・天野こずえ 『ARIA』全12巻、マッグガーデン<BLADE COMICS>、2002~2008年
   

5.時間を巻き戻したり繰り返したりする場合
 物語の中で特定の過去まで時間を巻き戻したり、1日や1週間など同じ時間を繰り返したりする場合がある。前者には『君と僕のアシアト~タイムトラベル春日研究所~』のように実時間自体は戻さずにタイムトラベルを実現するという変わり種がある。また、後者では時間を繰り返しているのは特定の人物だけだったり、記憶がリセットされる形で傍目からは時間を繰り返しているように見えるという変則パターンもある。
 特に共通して言える事柄はないが、過去に戻ることや時間の繰り返しを抜けることが目的や目的を果たすための手段になっているため、物語全体として見ると円環構造になっていないことが多い。

例1)『タビと道づれ』

『タビと道づれ』

 主人公の少女タビが昔なじみのあった「航ちゃん」に会うためにかつて住んでいた町を訪ねたことから物語は始まる。その町、緒道では町も住民も同じ1日を繰り返すという不思議な現象が起こっていたが、タビとタビが知り合ったユキタという少年やニシムラという警官など数人だけは記憶を失うことなく時間が繰り返していることを認識できる。

『タビと道づれ』6巻p.142

 なぜ同じ1日を繰り返しているのか、なぜそれを認識できる人とできない人がいるのか、タビは「航ちゃん」に会えるのか。このマンガではそれらを解き明かすことが主題となっているため、1日という小さな円環を積み重ねてはいるものの、最終的にはタビやユキタたちの動き出した時間、すなわち未来を描くという形で物語は開かれている。

   【出典】
   ・たなかのか 『タビと道づれ』全6巻、マッグガーデン<BLADE COMICS>、2007~2010年
   

例2)『君と僕のアシアト~タイムトラベル春日研究所~』

『君と僕のアシアト~タイムトラベル春日研究所~』

 タイトルに「タイムトラベル」とあるが、とある町に関する過去20年分の記録を人間の脳内に再生することで擬似的なタイムトラベルを行い、過去に影響を与えることなく現在の自分や周囲を変えていくという物語展開が『君と僕のアシアト』の特徴となっている。よって、正確には同じ時間を繰り返しているわけではない。

『君と僕のアシアト よしづきくみち短編集』p.13 『君と僕のアシアト~タイムトラベル春日研究所~』6巻p.244

 『君と僕のアシアト』は1つの大きな物語として見ると1つの円環で結ばれていることが見て取れる。本作の後半ではとある事故により分裂してしまったもう1つの並行世界が描かれているが、ヒロインである春日研究所の所長が短編集第1話で客として迎え、その後研究所に居座って主役の1人として振る舞うようになる男との出会いを、並行世界へと渡った後にやり直すという描写がそれに当たる。
 ただ、本作を名作たらしめているのはタイムトラベルが起こす小さな円環構造によるものでも、全編を通して描かれる大きな円環構造によるものでもない。
 このマンガで描かれるタイムトラベルは覆水を盆に返すような類いのものではない。脳内に投影された過去の世界に干渉することはできても、それを契機として現在をなかったことにはできない。春日研究所でタイムトラベルを行った人間は過去はどうやっても変えることはできないことを改めて思い知るだけだ。
 だが、どうやっても過去を変えることはできないが、未来はいかようにも変えることができる。春日研究所で過去の世界に旅立った者はそんな当たり前のことに気づかされる。それらは得てして読者が思い知り、気づかされる事実だ。『君と僕のアシアト』は過去への擬似的な時間旅行を通じて明日を生きようとする人々を人情味あふれる筆致で描きながら、前述のように強烈なメッセージを秘めた物語である。

   【出典】
   ・よしづきくみち 『君と僕のアシアト よしづきくみち短編集』 集英社<ジャンプコミックスデラックス>、2008/8/9発行
   ・よしづきくみち 『君と僕のアシアト~タイムトラベル春日研究所~』全6巻、集英社<ジャンプコミックスデラックス>、2010~2012年
   

 これまでに例として挙げた円環構造を持つマンガ作品はいずれも甲乙のつけがたい名作だと思っている。それではどうして円環構造を持つマンガ作品、円環の理に導かれた物語には名作が多いと思うのか。以下ではいくつかの仮説を挙げてその理由を検証してみる。

 1つ目は、心理的に円環という形状には好感を抱きやすいのではないか、ということ。専門家ではないので確かなことは言えないが、極言すると生命の根源である太陽や地球が丸いことと関係しているのではないかと思われる。
 2つ目は、生物に帰巣本能があるように帰ってくる物語には安心感を抱きやすいのではないか、ということ。これも専門家ではないので確証はない。
 これらはいずれも人が物語に行って帰ってくるという円環構造を見出すと心理的/本能的に名作だと感じやすいという意味になり、円環構造を持つ物語が持たない物語に対して比較優位であるという点で相対的な評価基準となる。ただ、いくらそれらを心理的/本能的に心地よいと感じるからといってこれすなわち名作であると帰結するのは乱暴だ。円環構造を持つ物語であっても、キャラクターが行って帰ってくるまでに成したことやそこで描かれる出来事の好悪には心理的または本能的に受け入れがたいこともあると思うからだ。

 3つ目は、過去に読んだ円環構造を持つ名作によるすりこみの結果、円環構造を持つ物語は名作だと思うのではないか、ということ。
 例えば自分の場合、初めて読んだマンガは『ドラえもん』の単行本16巻だったが、それをきっかけに『ドラえもん』ばかりむさぼるように読んでいた時期があった。大長編もそれこそ数え切れないぐらい読み返している。『ドラえもん』が不朽の名作であることは論を待たないが、子どもの頃に『ドラえもん』に親しんだ結果、似た構造を持つマンガを名作と感じやすいということは考えられなくもない。
 また、マンガではないが、最近のMMORPGと異なり1990年代までのRPGはラスボスを倒すと終わるものが多かった。主人公がラスボスを倒すために旅に出て、ラスボスを倒して平和を取り戻すと元の場所へ帰ってくる。それらRPGにおける行って帰ってくる物語からも影響を受けている可能性はないだろうか。
 ただ、一方で最近好んで読むマンガはラブコメであったり百合であったり萌え系4コマであったりと、『ドラえもん』との類似性があまり見られないものが多い。過去に読んで心酔したマンガには価値観や判断基準などで影響を受けてはいるけれど、マンガに対してはあくまで同じようなジャンルや似たような作りのマンガを好む傾向があるという嗜好の範囲に収まっているように思う。

 4つ目は、円環構造を持つ物語は円環構造を持たせるために充分に練られた上で物語が作られている、ということ。長期連載や短編を経て連載化したマンガの中には描いているうちに当初は想定していなかったような着地をしたものもあると思うが、円環構造を持つ物語には最初から結末までのストーリーを入念に考えた上で描いたと見受けられるものが多く、この結末を描きたかったからこの物語を作ったのではないかと思うようなものもある。
 5つ目は、円環構造を持つ物語は往々にして成長物語になっている、ということ。人の成長を描いた物語は読者が自らを投影できる装置としての役目を果たす。読者はそこで読者がまだ成し得ていないこと、結局成し得なかったこと、絶対に成し得ないことを主人公に自分を重ねて擬似的に達成する。人の経験は何も自ら直接体験したことばかりではない。他人から聞いた話や目の前で起きた出来事から教訓を得ることがあるように、マンガの中で成長しやがて戻ってきた主人公の物語を通じても人は成長するだろう。
 実は最初に思いついたのはこの4つ目と5つ目であり、前述した3つはこれらの引き合いとして出すためにでっち上げただけである。それは、名作が名作たり得るのは作者の力量とおもしろい作品を作ろうとする努力、そして作品にかける情熱に依るところがもっとも大きいと考えるからだ。ただ、はなからそういう方向に持って行くと「名作は円環に導かれているか否かにかかわらず作者次第で決まる」という身も蓋もない結論になってしまい、ここで言いたかったことの大部分が否定されてしまう。そのためにあえて後回しにしてみた次第。

 そう言えば、『魔法少女まどか☆マギカ』(以下、『まどマギ』)はTVアニメ12話での物語もそれ単体でアニメ史に残る名作だが、昨年公開された『[新編]叛逆の物語』(以下、『叛逆』)により大きな円環として閉じられたことでさらなる名作になったと思う。『まどマギ』にはコミカライズが存在するため、ここではアニメ版ではなくコミック版を基に話を進める。

『魔法少女まどか☆マギカ』

 物語の冒頭では暁美ほむらが転校生として鹿目まどかの元へやって来たことと、ほむらとまどかの渡り廊下での対話が描かれている。一方で、『叛逆』のエンディングでは冒頭とは逆にまどかが転校生としてほむらの下へやって来て、冒頭と同じように渡り廊下で対話する様子が描かれている。また、他にも魔法少女としての役目を終えて魔女になった美樹さやかが人間としての人生を取り戻す姿もある。

『魔法少女まどか☆マギカ』p.18 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』p.138

 つまり、『叛逆』を経た『まどマギ』は、キャラたちの関係性は変わったものの元の場所へ戻ってきて終わるという明確な円環構造を持つことになった。『まどマギ』はその原作(TVアニメ相当の話)からして既に名作だったが、『叛逆』でさらなる名作になったことはこの文章の趣旨に合致するだろう。
 そしてこのことから推察するに、もし『叛逆』の続編が描かれてそれが『叛逆』を超える名作になるのだとしたら、それはキャラたちの関係性さえも元に戻る形でさらに外側の円環構造を形成するのではないかと考えられる。もっとも『まどマギ』のことなので、続きの物語には素人が考えそうなことの斜め上どころかねじれの位置を爆走するように奇想天外な物語を提示してくることだろう。

   【出典】
   ・著・ハノカゲ、原作・Magica Quartet 『魔法少女まどか☆マギカ』全3巻、芳文社<まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ>、2011年
   ・著・ハノカゲ、原作・Magica Quartet 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』全3巻、芳文社<まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ>、2013~2014年
   

 結局のところ、「円環の理に導かれたようにストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多い」という説に妥当性はあるのか。
 万人が認める名作、隠れた名作、俺だけの名作など名作には様々な受け方があり、円環構造を持つ名作、円環構造を持たない名作など物語の有り様も千差万別である。これまでに見てきた円環構造を持つ名作についても、円環構造を持っているから名作なのではなく、前述したとおり「こいつは名作だ!」と思ったらそれが円環構造を持っていたと後から気づくことが多い。よって、ごく個人的に「ストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガをおもしろいと感じる傾向がある」とは言えても、普遍的に「ストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガには名作が多い」とは言えない、というのが結論になる。受け止め方は人それぞれなので当たり前といえば当たり前の話になるけれど。
 ただ、マンガが持つ物語の構造に着目し、どのような傾向を持つものをおもしろいと思うかを把握しておくことは、まだ見ぬ名作に出会うためにもしておいて損はない。なぜなら、人生のうちでマンガを読むために費やせる時間には限りがあるからだ。また、逆にそのことは名作と思う物語の傾向に当てはまらない意外なマンガを探し求めるためにも役に立つだろう。と、矛盾したようなことを言ったが、とどのつまり一番言いたいのは「おもしろいマンガを沢山読みたい」ということだけだった。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』p.120

 ……だとしてもこれだけは忘れない。円環の理に導かれたようにストーリーが円環構造や螺旋構造を持つマンガが名作だってことは!(無理矢理最初の主張に戻って終わる)

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