いつまでも残る余韻と何度でも読み返したくなる衝動――大井、阿武隈、そして北上の3人から語られる、ある夏の日のできごと。 RED-SIGHT『タンジェリンの夏空』(艦隊これくしょん~艦これ~二次創作)
このマンガに触れる場合、非常に凝ったその体裁からまず入るべきだろう。
タイトルに「タンジェリン」とあるとおり、オレンジ色を基調とするその表紙には大井、北上、阿武隈の3人が描かれている。球磨型軽巡(実際には改装後なので雷巡)の大井、北上と長良型軽巡の阿武隈は、大井と北上が姉妹艦として、北上と阿武隈が衝突事故を遭った関係としてその史実を残し、艦これでもよく取り上げられる題材となっている。また、艦これでは、大井と北上は親友以上恋人以下の百合ップルとしてソフトからガチまで幅広く活躍しているし、阿武隈は物理的に衝突するほど北上さんが好きだし(多分)、北上さんはそんな阿武隈の気持ちを知ってか知らずか阿武隈の髪を触りまくるし、大井っちは大井っちで北上さんを阿武隈に取られるのはイヤだけど大井っちの想いを知っているはずの北上さんが阿武隈にちょっかいを出すのは大井っちに嫉妬させたいからであってそんな北上さんも好きでたまらないんだろうなあ、と思わせるような三角関係を3人は作っている。
そんな3人が海と夕日を背に歩いている。前を行くのは大井、しんがりは阿武隈、その間に挟まれた北上は阿武隈の前髪をいつものようにいじっているが、逆光になっているため3人の姿は橙に染まり景色に溶け込んでいる。だが、どうして逆光なのか。逆光が表すもの、それは不安、あるいは追憶。不安と捉えればこれから3人に起こることを予兆し、追憶と捉えればこの3人は既に誰かの記憶の中にある在りし日のできごとだ。時間をどこに定めるかによっていかようにも解釈できるそれは『タンジェリンの夏空』という物語をとても象徴している。
次に表紙をめくると現れる口絵は奥付によると特種東海製紙の彩雲から「あじさい」を使用したものとなっている。初夏の昼空を表すかのようなそれは表紙とは対をなすものであり、死と隣り合わせの日常に生きる3人の関係が永遠に続くものであるかのような錯覚を起こさせる。
それらを越えて辿り着く中表紙は大井、北上、阿武隈がそれぞれ異なる単色のカラーで描かれている。フルカラーではなく、黒を含めた4色で描かれていること。それがこの物語において重要な意味を持っている。
そして迎える本編。物語は大井のある行動から始まる。映画のプロローグのような一連の構成はこれから始まる話が一筋縄では読めないことを予想させる。
続いて描かれるのは大井と北上のデートの様子だ。北上と大井、ではなく、大井と北上。カラオケ後のカフェでのひととき、女子っぽい会話を受けての北上が着けるアクセサリー選び。それらは2人のいつもの休日の過ごし方なのかもしれない。北上はいつも大井と一緒にいてくれるし、大井に嬉しい言葉をかけてくれる。けれど、大井がいつもと同じように北上の想いを確かめられなかった1日、いつまでも大井の記憶に残り続けるあの1日。
その1日が終わると、いよいよ物語は動き出す。北上や大きく傷ついた大井の様子と遠征部隊に属する自身の前線への出撃命令から戦況の酷さを知る阿武隈。大井の最期を看取れなかった1944年の夏に思いを馳せる北上。やがて敵の追撃を阻止するために北上と阿武隈は北上を旗艦とする艦隊を組み戦地へと赴く。
一読して思ったのは繰り返しのようになってしまうが、映画を見ているみたい、ということだった。まったくぞくぞくする。けれど、どうしてかはわからない。すぐに二度三度と読み返し、四度五度と行きつ戻りつしてようやくそう思った理由に行き当たった。
通常、物語は語り手が固定されている。長編であれば場面や章や回などの区切りで語り手が切り替わることがあるけれど、特に短編では語り手がころころ変わると話がわかりづらくなるため主人公1人に固定されていることが多い。ところが、このマンガは大井、北上、阿武隈のそれぞれが語り手の役割を担っている。大井、北上、阿武隈のそれぞれの視点と記憶で夏の日のできごとが語られている。それでも読みづらさを感じさせないのは作者が施したある仕掛けと、なによりも時系列と話運びに関して非常に計算された構成をしているからだろう。後者のために作者の仕掛けがなくとも物語を楽しむことはできる。だが、その仕掛けによって物語の与える印象は何倍にも増幅される。大井の、北上の、阿武隈の、それぞれのそれぞれに対する想いが、思慕や、憧憬や、執念がまざまざと立ち上ってくる。もう、あざとすぎてすごすぎて、ぐうの音も出ない。
理由はもう1つある。それは冒頭の大井がロッカールームを訪れる場面で、ロッカーの扉に落ちた大井の影のみを描いたり、ロッカーの中から扉を開く大井を見せたりすることに代表される自由自在なカメラワークだ。場面、あるいは視点、あるいは感情に応じてカメラは動き、大井や北上や阿武隈の魅力を極限まで引き出し、日常と非日常に生きる彼女たちの静と動を最大限に写し、彼女たちのいないコマに彼女たちがまとう空気と想いを乗せる。もう、洗練されすぎてすごすぎて、ぐうの音も出ない。
このマンガは大井と北上と阿武隈の3人から語られるある夏の日のできごとを描いている。前述のように彼女たちの史実やそれに基づいた艦これでの台詞から彼女たちの絡みを描いた二次創作は多く、このマンガも大井と北上が休日デートをしていたりなど、艦娘同士の関係に焦点を当てたものとなっている。大井と北上というある意味鉄板とも言える関係の2人に対してある1つの形を描いているのもさることながら、阿武隈が2人に対してどういう想いを抱いていたかにも『タンジェリンの夏空』はある1つの答えを出している。大切な人を守りたいという想い、信念を貫き通す者の力になりたいという願い、そして好きな人を助けたいという望み。『タンジェリンの夏空』は確かに装丁を含めた仕掛けやマンガとしての描写が印象的な本ではあるが、いつまでも残る余韻と何度でも読み返したくなる衝動の根源がその物語自体にあることもまた確かだ。これを書いている9月下旬の今はもう夏はその気配を残すのみとなったが、来年、またその来年と夏の終わりが巡るたび、徐々に早くなってゆく夕暮れのオレンジに染まる空を見るたび、『タンジェリンの夏空』に描かれた大井と北上と阿武隈の3人の物語をふと思い出すことになるだろう。
【出典】
・赤景RED 『タンジェリンの夏空』 RED-SIGHT、2014/8/15発行
・タンジェリンの夏空→サンプル(作者サイト内)
・C86新刊「タンジェリンの夏空」サンプル、追加サンプル→サンプル(pixiv内)
・RED-SIGHT→作者のサイト
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