「○○は文学、△△は芸術、□□は人生」を百合マンガに引用するなら間違いなく「星川銀座四丁目は人生」だと思う。 玄鉄絢『星川銀座四丁目』全3巻
『星川銀座四丁目』は、小学校の教師をしている「先生」こと那珂川湊が不仲の両親からネグレクトに合っていた金髪と碧眼を持つハーフの小学生・松田乙女を引き取ったことから始まる話だ。当初小学6年生だった乙女の成長を軸に、先生と乙女の2人が同性、年の差、生い立ちといった壁を越えて本当の意味での家族――パートナーになるまでの歳月を描いたその物語は乙女と先生の叙事詩のようでもある。
百合マンガというジャンルは掲載誌がアンソロジーであるためか1話あるいは1巻完結の短編が多く、いきおい作中で経過する時間もごく短かいものが多い。比較的長いものでも1年や3年といった期間が主流で、例えば黒髪おかっぱとつり目ストレートロングの2人の女子高生の友情から始まる恋を描いたあのマンガも舞台は高校の3年間だ。例外はサザエさん時空であることが明らかになっている、中学校のとある部活と生徒会の抗争を描いたあのゆるいマンガぐらいだろうか。そんな中にあって乙女の小学校高学年から中学生、やがては25才の社会人になるまでを追った『星川銀座四丁目』は異色と言えるだろう。
そんな『星川銀座四丁目』の特徴は何と言っても先生と乙女の同居生活だ。一方は仕事を持つ社会人として、もう一方は小~中学生として、親子ではないがそれぞれ保護者と被保護者という関係で寝食を共にする。毎日のごはんを作って一緒に食べたり、洗濯をしたり布団を干したり、2人で寄り添ってだらだら過ごしたり。ときには喧嘩もするけれど、2人の間にはゆるゆるとした温かい時間が流れている。そこかしこに散りばめられた生活感あふれる描写からは、それこそ食卓に並ぶごはんの匂いとか先生や乙女の息づかいとかいったものがすぐ間近にあるように感じられる。乙女が先生のために弁当を用意したり、先生がシャツのボタンを掛け違えているのを直してあげたりと、どちらが保護者かわからないようなやりとりには思わず頬も緩むというものだ。
しかし、そういう2人、生活力皆無の先生と、表に「Yes!」と書かれた枕の使い道を知っている乙女という2人だからこそ、10数才という年の差がさほど気にならないのだろう。先生は教師でありながら当時小学6年生だった風呂上がりの乙女に欲情している。乙女は乙女で級友の一言から先生への想いを早々に自覚している。かようにわりと早い段階で女同士という性別の壁もものともしなくなっていた。作中では2人が年の差や「女の子同士」であることに言及する場面があるが、ともすれば障害ともなり得るそれらは、2人で生きていくことをお互いに認識し合い、関係をより強固にするためのつなぎにしかなっていないように見える。
また、ともすれば先生と乙女の箱庭生活で完結してしまいそうなこの物語がそうはならなかったのは、先生や乙女と同じように同性に想いを寄せる者たちの存在が大きい。先生の古い友人である大濠(おおほり)は乙女のライバルでもある。乙女が通う学習塾で隣の席になった同学年の女生徒は女子大生講師に心酔するあまりストーカー行為に走った。古本屋でバイトをしている女子高生の日名は店番をしていたときに訪ねてきた乙女に一目惚れする。特に、乙女への一途な恋心から犯罪紛いの行為に手を染めた日名と、先生との暮らしを守りたいがために日名の要求に応じた乙女、その2人の間の愛憎悲喜交々は、単に振った振られたという通り一遍の描写では表せないような奥行きと好きになったがゆえの業の深さとを物語に与えている(業の深さ云々という意味では乙女とその母親との関係にも語る余地がある)。彼女たちがいたからこそ、先生と乙女の関係が際立ち、かけがえのないものとして描かれることになったのだろう。
今年の2月に完結となる3巻が出たことでその存在を初めて知ったが、一読後あまりの衝撃にしばらくの間このマンガばかり読み返していたものだ。先生と乙女にとって同性や年の差、元教師と生徒という関係や保護者と保護される者という関係はだたのきっかけにしか過ぎない。相手がその人だから求める、欲し合うという1つの想いの形を突き詰めた物語。そんなことを今回再読して改めて思った。他人の家にお邪魔するときに靴を揃える場面があるとか、古本に囲まれた畳敷きの部屋に置かれたブラウン管テレビとゲーム機とか。日名が好きな人と会う前に目元を気にするとか、先生が通行人の邪魔になっている乙女をさりげなくどかす(あるいは守る)とか。そういう描写の細かさもマンガのよさである。だがなによりも、乙女が先生の想いを酌みつつ自分で自身の将来の夢を見つけたり、先生の匂いにフェティッシュな感情を抱くことで性に目覚めたりと、乙女の成長を先生と一緒に見守ることができるのがいい。「○○は文学、△△は芸術、□□は人生」というテンプレートを百合マンガに当てはめるならば、間違いなく「星川銀座四丁目は人生」だと思う。
前述のとおり『星川銀座四丁目』は完結してからまとめて読んだ。人や場所、物語とは出会うに適当な時があると常々思っているが、完結直後というタイミングで読めたことは僥倖だと思う。なにしろ作中の時間が掲載誌の発刊に合わせて進んだこの物語において、今現在という時間は実在する星川という町の架空の四丁目から乙女が離れ、先生と共に生きるという夢に向かって走り始めた頃なのだから。このマンガを今読むことができて本当によかった。『星川銀座四丁目』を読むことができて本当によかった。
ちょっと気になったので先生と乙女の人生を時系列に並べてみた
年度 | 先生 | 乙女 | 備考 |
---|---|---|---|
2008 | 24 | 11/小5 | 第2巻前半の回想シーンが該当する。年齢差は第2巻描き下ろしの「乙女が18になる頃、先生は31才になっている」から。 |
2009 | 25 | 12/小6 | 第1巻のほとんど。カレンダーから作中が第2話が2009年7~8月とわかる。 |
2010 | 26 | 13/中1 | 第2巻の第10話までが該当する。 |
2011 | 27 | 14/中2 | 第2巻の第11話から第3巻17話までが該当する。 |
2012 | 28 | 15/中3 | 第3巻の第18話から第19話までが該当する。 |
2013 | 29 | 16/高1 | 第3巻最終話Aパートはこの辺と思われる。先生と乙女が別居。 |
2015 | 31 | 18/高3 | 第3巻最終話AパートとBパートの間の描き下ろしが該当する。先生と乙女が再会。この年には乙女の背丈が先生のそれを既に超えている。 |
2023 | 39 | 26 | 第3巻最終話Bパートが該当する。冒頭に平成35年とある一方、あとがきには「Bパートでは乙女は25才」とあるため、乙女は誕生日が来て26才になると思われる。 |
2024? | 40? | 27? | 第3巻の巻末「マイファースト星川」はBパートの後だが、先生の姪っ子が外見的にそれほど変わっていないようなので、Bパートからあまり時間は経っていないものと思われる。 |
【出典】
・玄鉄絢 『星川銀座四丁目』第1巻 芳文社<まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ>、2010/8/11発行
・玄鉄絢 『星川銀座四丁目』第2巻 芳文社<まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ>、2011/12/12発行
・玄鉄絢 『星川銀座四丁目』第3巻 芳文社<まんがタイムKRコミックス つぼみシリーズ>、2013/2/12発行
・Light Weight Lo-tek Journal→作者のサイト。
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