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2013/09/02

幼い恋と後悔、贖罪と再生、そして忘却の物語。『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

 2011年の夏にテレビの深夜アニメとして放映され、多くの反響を呼んだという『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』。自分はちょうど1年前に発売されたコミカライズから入り、アニメはその3ヶ月後の去年12月に初めて見て、舞台としての秩父へは1回しかしたことがないなど、あの花歴としてはようやく1年を迎えたところだった。今回劇場版が公開されたということで、盛夏の面影をまだまだ色濃く残す8月31日、『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を見に行ってきた。
 以下、文章にはネタバレを含む。また、記憶だけで書いているため必ずしも正確性を期してはいない。

 一言で表すと1回見た限りでは「よくわからない」というのが率直な感想だった。以降、いつか見るであろう2回目に向けたメモとして今回思ったことを感想の代わりにまとめてみたい。

◆めんまの存在
 劇場版あの花の舞台は原作に当たるテレビ版の1年後という設定になっている。劇中ではテレビ版の1年後=現在を中心に、1年前=テレビ版の話と、6年前=テレビ版での5年前、めんまが亡くなった年がたびたび回想シーンとして差し挟まれるため、テレビ版あの花を見ていないと理解しづらいところがある。また、視点がめんまを含んだ6人の間で代わる代わる切り替わるため、そういう意味でもテレビ版あの花を見ていることが前提になっているといっていい。
 ところで、「視点がめんまを含んだ6人の間で替わる」と書いたが、劇場版での現在から見て1年前にポクポクチーンされ天に帰ったはずのめんまが、じんたんやあなるなど存命の5人と同じ劇場版での現在という時間軸で物語を語れるだろうか。仮にめんまだけ1年前の夏に生きているなら6人の時制が一致していないことになるし、6人の時制が一致しているならめんまはテレビ版から1年後の世界でも生まれ変わらずにめんまのまま生きている(?)ことになる。めんまがどの時間軸に生きているか? には注目していなかったため、2回目を見るときの持ち越し課題としたい。

◆幼なじみとしてのあなると鶴子
 劇場版では、「外人」「ノケモン」としてクラスから疎外感を感じていためんまを、じんたんを始めとした後の超平和バスターズの面々が受け入れるというエピソードが描かれている。記憶違いでなければ、テレビ版ではめんまとじんたんたちが仲良くなったきっかけには触れられていなかったと思うが、今回劇場版で明確になっためんまとじんたんたちとの出会いは2つの重要な解釈を与えてくれる。
 1つ目はめんまが(後の)超平和バスターズとしては最後発のメンバーであること。秘密基地での超平和バスターズの発足は6人が揃ってからの出来事だが、めんまがじんたんたちの仲間になる前も秘密基地で超平和バスターズの活動をするようになった後も同じノケモンのゲームをやっていた。そのことから、発足前も含めて超平和バスターズが6人揃っていた期間、つまりじんたんたちがめんまと一緒に過ごした時間はそれほど長くなかったと考えられる。それでもテレビ版の舞台である5年後、劇場版の現在である6年後に至るまでじんたんたち5人に影を落とし、心のある部分を占め、行動に影響を与えていたことから、めんまの存在が幼い5人にとってどれだけ大きかったか想像に難くない。
 2つ目はあなると鶴子はめんまよりも前にそれぞれじんたん、ゆきあつと幼なじみの関係にあったが、めんまが幼なじみグループに加入したことでじんたんとゆきあつの心がめんまに向いてしまい、結果的にあなると鶴子は幼なじみとしての立場を恋に生かせなかったこと。もし、めんまが事故に遭わずに生きていれば、テレビ版はじんたん、あるいはゆきあつの彼女と幼なじみが修羅場すぎる展開を迎えるような物語になっていたかもしれず、それはそれで見てみたい気もする。もっとも、じんたんもゆきあつもめんまと仲良くなる前からめんまが気になっていた可能性もあるけれど……。

◆感動の物語としてのあの花
 親しい人と別れれば寂しい。大切な人を失えば悲しい。マンガで言えば教室が滅びの未来に漂流する話やネコ型ロボットと宇宙や並行世界を冒険する話、ゲームであれば季節が輝いたり永遠があったりする話やその主題歌は国家、その存在は芸術にたとえられる話でそれなりに鍛えてきたつもりであるため、「人の生き死にや別離を描いた感動の物語」にはどうしても身構えてしまう。それゆえ、テレビ版あの花を最初に見たときも一歩引いた視点から見るようにしていた。
 が、ダメだね、年を取ると涙腺が緩くなって。なお、自分がもっともしてやられたと思ったのは、テレビ版で言うと、めんまを見送るところではなく、じんたんがめんまに泣かされる場面である。それがじんたんの母親が果たせなかった約束のことだと知った視聴2回目はもう涙なくしては見られなかった。どうも長年の約束を果たすとか悲願を達成するとかいったことには弱いらしい。

◆劇場版で何を描きたかったか
 この文章を書いたきっかけは、劇場版で描きたかったことが何か、1回見ただけではわからなかったことだった。少なくともテレビ版は物語として完結しているため、そもそも劇場版を作る意図が読めなかったことが大きい(某魔法少女のアニメもそうだが、最近は小説やマンガといった原作のないオリジナルアニメで続編を劇場版として作ることが流行っているらしい)。もっとも一視聴者に容易に続きが予想ができるほどあの花が物語として単純だったら、これほどまで多くの人を虜にすることはなかったと思う。
 劇場版あの花で何を描きたかったのか。テレビ版あの花が幼い恋と後悔、贖罪と再生を描いた物語であるとすれば、劇場版あの花は忘却の物語なのだと思う。劇中であなるはめんまへ宛てた手紙に書くことが何もないと悩み、書いては消し、ときに自虐に走るなど、ひとり上手を繰り広げていた。めんまがあなるの前から消えて1年。親しい友を二度も失うという筆舌に尽くしがたい悲しみを乗り越えて、あなるたち超平和バスターズの5人はそれぞれの道を歩んでいることが劇場版では描かれている。めんまは恐らく5人の心の中で「ずっとなかよし」で生き続けるし、一方で5人の記憶からはだんだんと薄れていくのだろう。手紙をお焚き上げするところでぽっぽが今後も毎年同じ日に集まることを提案していたが、それはめんまを忘れないようにするためでもあり、忘れることを合意するためでもあったように思える。

◆じんたんの父親は何をしている人か
 結局わからずじまい。あの花で最大の謎。

 これを書いている間に1周2時間近くあるテレビ版あの花のサントラがほぼ2周した。サントラでもっとも好きな曲は『Last Train Home』で、この曲を聴くだけでじんたんたちに起こったひと夏の奇跡を昨日のことのように思い出すことができる。劇場版あの花でめんまとの別れから1年という節目を迎えたじんたんたちは、今後もいろいろな出会いを経て、さまざまな別れを経験するに違いない。そうして彼らは大人になり、いつしか子どもだった頃に出会った奇跡を昨日のことのように懐かしく思い出す日を迎えるのだろう。

【出典】
・超平和バスターズ 『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』 「あの花」製作委員会、2013年
劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。| アニメ公式サイト→劇場版あの花の公式サイト
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を見るのに適当な年齢→テレビ版の感想代わり。

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