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2013/10/28

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 感想というより単なるメモ(ネタバレ含む)

逝ってしまったわ。円環の理に導かれて。

 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』を公開初日10月26日の夜中と夜とで1回ずつ見たので、感想というよりは3回目に向けたメモとしてここに記しておきたい。
 以下では文章にネタバレを含む。また、記憶だけで書いているため必ずしも正確性を期してはいない。

 以下は簡単な所感。

・さやかちゃんがカッコいい。また、普段はまどほむ派の自分だが、さやかとあんこが背中合わせでお互いに対する想いを吐露する場面は新編でもっともグッときた。

・マミさん、本当はすごく強かったのね。

・ほむほむマジガハラさん。

・魔法少女まどか☆マギカ新編を見に来たと思ったら西尾維新原作の怪獣大戦争を見ていた。何を言っているか以下略。

・魔女っ娘もののように煌びやかな演出や息も吐かせぬ激しいアクションをしながらも魔法少女たちのスカートの中がまったく見えないのがすごいと思った。

・概念という言葉の意味が形骸化している気がする。

・続きはまた1年後ですか。

 以下は3回目に向けての考察。

★当初から存在する違和感

 まどかが何事もなかったかのように朝を迎えているとか、杏子が見滝原中学校へ通っているとか、マミがお菓子の魔女と同棲しているとか、ナイトメアという少女の悪夢が具現化した存在とか、魔法少女オールスターズによるプ○キュアみたいな団体戦とか、劇の当初から違和感はたくさんあったが、キュゥべえが「きゅう」という鳴き声しか発しないこと以上に違和感のあることはなかった。

★ベベの本名

 「なぎさはもう一度チーズが食べたかっただけなのです」というなぎさの台詞以外に「なぎさ」という名前が直接出た覚えもなければ、エンドロール以外に「百江」という名字も出た覚えがないが、ベベの本名である「百江なぎさ」は劇中のどこかに出ただろうか。

★さやか、なぎさという円環の理に導かれた者たちの抱える矛盾

 劇中でさやかは自らを「円環の理の鞄持ち」と称している。さやかとなぎさという一度魔法少女として力尽き、円環の理に導かれながらもその協力者として自らの意思で行動する元・魔法少女は魔女としての力も同時に振るうことができるようだ。これは「すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を生まれる前に消し去る」はずのまどかによって書き換えられた世界では魔女は存在しないという理屈と矛盾する。
 このことから以下の仮説が導かれる。
 1つ目は、さやかとなぎさはまどかによって再編される前に魔女になったため、円環の理に導かれた後も魔女としての力を保ち続けているという説。しかし、まどかの願いは過去に遡って適用されているため、再編前に魔女になっていたさやかも魔女になったこと自体がリセットされるはず。よって、この説は正しくない。
 2つ目は、まどかによって再編された後も魔法少女のなれの果てとしての魔女は存在するという説。新編でキュゥべえが「存在を認識できれば制御できるが、認識できないものには手出しができない」というようなことを言っていたが、円環の理は魔女を認識できないようにするだけで消滅させることはできないと思われる。
 と、ここまで書いてから、これを確かめることがまさにキュゥべえによる遮断フィールドの実験が目指すところだったことに気づいた。

 ということで、まどかによって再編された後の世界でも魔女は存在するが、まどかがガベージコレクタよろしく魔女化する寸前の魔法少女を回収してしまうため、魔女の存在を知らない世界の人たち(キュゥべえを含む)は魔女を認識できないだけであった。
 ただ、これは円環の理に導かれた後のさやかとなぎさが魔女と化した自身の力を自由自在に操れることの直接的な説明にはならないように思う。ソウルジェムが魔法少女の魂であり、黒く染まったソウルジェムがグリーフシードへと変化し魔女を産むのだから、逆にさやかとなぎさは魔女の方が本体で、人間あるいは魔法少女としての姿を操っていると考えた方がいいのかもしれない。それなら、さやかがほむらの記憶に合わせるために人としての姿で登場し、なぎさがベベという名で呼ばれるお菓子の魔女としての姿のままでいることにも納得がいく。

 それはそうと、魔法少女と魔女の力を同時に操ることのできるさやかとなぎさの強さはチートと言ってもいい。

★ほむらが宇宙を再編できるほどの力を持っていた理由

 まどかが魔女のいない世界として再編した宇宙をほむらは自分の望む形に再度構築し直している。ほむらがまどかのために何度も何度も同じ時間を繰り返したせいでまどかに因果が集中し、他に類を見ない、宇宙を再編するほどの力を持つ最強の魔法少女となったことが前編/後編で語られているが、ほむらについてはそこまでの力を持つ理由が明確に表現されていないように思う。キュゥべえの実験により、ほむらは魔女の結界の中で自分の理想とする世界を作り出していたが、それさえ見滝原市という街を1つ作る程度でしかない。
 はたしてほむらが宇宙を再編するのに足る力を得たのはなぜか。
 1つ目は、ほむらが円環の理としてのまどかの力を取り込んだという説。
 2つ目は、ほむらが円環の理としてのまどかの力をてこの原理のようにして利用したという説。
 3つ目は、時間遡行を繰り返すことでほむらもまた自身に因果の糸を溜め込んでいたが、ほむらが魔女化したことでその力が発現したという説。
 特にいずれとも判断しがたいが、劇中でほむらがまどかの一部を引き千切ったことを踏まえると1つ目が正しいように思う。

★『漂流教室』を類例としたほむらの世界に対する解釈

 劇中では魔女となったほむらが結界の中に偽の見滝原市を作り出し、縁のある人々を引き込んでほむらの望んだ世界を構築したことになっている。だが、魔法少女5人によるホーリー・クインテットとしての活動やお茶会形式でのナイトメア退治はマミが望んだ世界であり、杏子がさやかの家に居候しさやかと同じ中学校へ通うのは杏子の願望を表しているようにも見える。そして、ほむらによって望む姿に再々編された宇宙では円環の理になったはずのまどかと円環の理に導かれたはずのさやかとなぎさが人間として登場している。

 ここで唐突ながら『漂流教室』というマンガを引き合いに出したい。
 『漂流教室』は楳図かずお先生によって約40年前に描かれたSFマンガであり、校舎ごと滅びの未来へタイムスリップした小学生たちの生き様を凄絶な筆致で描出している。その物語の終盤に、長い旅路の果てに小学校へと戻ってきた主人公たちが元の時間に戻る方法を見出すが、主人公に対する恋心から元の時間に帰りたくないと願う者がいて試みが失敗するというくだりがある。元の時間に戻ってしまえばたくさんの人の中の1人になってしまうが、人類が滅んだ後の世界では限られた人だけで生きていくしかない。たとえ本来の現実とは異なる過酷な世界であっても、自分の望む世界に近いのであればそちらを選んでしまう。人に恋い焦がれる想いの強さが時に思いも寄らない力を持つものであることはこのマンガで知った。

 翻って新編では、前述のとおりほむらの望んだ世界が現出しているように見えるが、それを望んだのはほむらだけだったのだろうか。魔女となり、キュゥべえの実験を阻止し、自身の消滅を図ったほむらをさやかやマミは止めようとしたが、はたしてそれは本心だったのだろうか。
 劇中でマミはベベと出会い、魔法少女たちとともに戦えることを幸せだと言っている。さやかは杏子を残して逝ってしまったことが心残りだったと杏子に告げている。魔法少女として危険に身をさらして魔獣退治に臨み、円環の理の一部として強大な力をもって魔女となったほむらに立ち向かう彼女たちは、同時に中学生という成長途中の人間でもある。幻とはわかっていても大切な人が手の届くところにいる、心地のよい世界に魔法少女たちが身を委ね、それを望んでしまったとしても、誰がそれを咎めることができるだろうか。

※誤字脱字や文章のおかしな点は後日訂正する予定。また、何か思いついたら適当に追記するかも。

【出典】
・Magica Quartet 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』 Madoka Movie Project、2013/10/26公開
劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語→公式サイト

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